ひな祭り

ひな祭りらしいことはもう何もしてないんですが、
うちにとってはこの日は父親の誕生日でした。

父親は親戚や仕事場のお客さんからも好かれててムードメーカーのような存在で、私は特に一人っ子ということもあって、幼い頃は父親にべったりの父親っ子でした。

結構好奇心もあって、音楽や美術、車やバイクが好きな人でした。
若い頃は長髪にしてギターとベースを弾き、バンドも組んでたみたいです。
私の音楽好きは完全に父親譲りです。
最期の数年は、ヴィンテージカメラで写真を撮ったり、ピアノの練習に励んでいました。

今も生きていれば今日で63歳。
血液検査で健康太鼓判を押されたと喜んでいた半年後、47歳で亡くなりました。

突然のことでお別れも言えず、というか思春期鬱のような状態だった私は当時両親ともあまり言葉を交わさず良い関係ではなく、人生で一番最悪の時期の姿しか父親に見せられませんでした。

突然の死という現実に向き合えなかったせいか、感情が湧かず目に見える映像をただ脳に録画しているような感覚でした。
医師のご臨終ですという言葉でわっと泣き出す母の顔、家でバタバタと準備をしてくれる親戚の姿、燃やされた後の鉄板でカラカラ掠れる骨の音、今でも感覚や音・匂いがドラマのワンシーンのように、今でも鮮烈に記録されています。

亡くなってからしばらくは、バズーカで打たれまくって身体が穴だらけなのに、痛覚もなくまだ生きてる・・・みたいな感覚でした。
「考えるな」ともう1人の自分に見張られているような状況でした。
今から考えれば、苦しい感情が溢れ出てくる前に必死に蓋をしていたんです。

でも、きっと本人が一番苦しく、無念だったと思います。
みんな、なんで・・・と思っていたけど、本人が一番わけのわからないうちに、意識が遠のいていった。
まだまだやりたいことがたくさんあったはずです。

「(私が)20歳になったら一緒にお酒を飲みたい」と言っていた姿を思い出します。

十数年経った今、感情が戻ってきて、蓋をしてしまっていた父親のことを、こうやって思い出すことも増えてきました。
特に、父親がずっと憧れていたバンド活動を続けられているということもあるかもしれません。

本人がちょっと寂しがりやなところもあったので、こうやって思い出すことが供養になるんじゃないかと。

私もちゃんと天国に行けるような人生にして、また再会できたときには、ドラムをやり始めて、バンド頑張ってたんだよって、報告したいな、と思います。

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